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わたしのブログ

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続きです。

「東京はどこだ。」と聞いたら、「田園調布から召集されて来た。」と言っていた。「病院下番は部隊に入ったら相当苦労するぞ。だが、病院にいつまでいても星はくれないぞ。まぁ、元気でやれよ。」ウラジオストックの隣である。あんまり良い所じゃない。それに相当寒い。「お互い命があったらまた会うときがある。」といって慰めた。
 まもなく大田に延吉への転属命令が来た。星ひとつで他の隊に入るのは死ぬような思いをしなければならない。可愛そうになってきた。
 今度は米田と言ってたずねてきた初年兵が「自分は高血圧のために内還になりました。片山山は東京出そうですが、何か家のほうに伝言でもありましたら自分に行ってください。」ということ。私は記念に撮った写真を渡し、「この通り元気だと伝えてくれ。」と住所を書いて渡した。途中、無事にと思ったがちょっとうらやましかった。
 湖の米田と言うとこはどの隊のものか?何で私が東京出だと知っているのか知らないが親切な人である。他の病棟から来るものは入り口から敬礼し続け無ければならない。ご苦労様である。
 ある診察日にカイセン患者と言うグループが診断され、私もその中に入っていた。これは中支方面から持ってきたボタンカイセンだそうだ。接触伝染性皮膚病なので早速興城温泉療法をすることになった。山海関の手前にある興城の新巻隊と覚えているがそこで約一ヶ月温泉療養をした。
 その間、軍人は棒給以上のお金を持つことは禁じられている。五十円を書留にして家に送った。毎月二十円くれるので亜麻って困っていた。上等兵、一等兵でも同じである。使い道が無いのだ。約百円ほど持っていたので内地に残してきた子供に何か買ってやろうと思い立ったのだ。毎日三回時間通りにお湯に入った、出たら必ずといってよい一時間ほど寝ていなければならない。退屈な一ヶ月だった。


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